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毎日フォーラム原稿 H13年12月号

June 08, 2017

■視点 NPO法人住んでみたい北海道推 進会議 ちょっと暮らしアドバイザー
大山 慎介

 

◎「田舎」のある生活 ◎「ちょっと暮らし」が生む田舎 と都会の「共創」

 

 旧過疎法がスタートしたのは、 昭和 (1970)年のこと。そ の後、過疎対策や地域再生策とい ったさまざまな視点での考察、試 行が行われ、この何十年、成功例 と言われるものも数多くある。

 特別な仕組みではない。田舎の 市町村が空き家に家具を備え、役 場職員がサポートして、都会から 気軽に来て滞在できる環境を作る。 観光では味わえない田舎の魅力、 生活感、時には不便さなどを、自 身の目で確かめ、納得する。そん な機会を「ちょっと暮らし」と名 付け、平成 (2008)年に試 行した。

そうした中で、我が国の現状を見る時、足元を見つめた、あるいは生活者に渦巻く潜在的な需要を惹起する、静かな取り組みを紹介することもまた必要かも知れない 。そこには、理論ではなく、さまざまな立場の人が抱えるウォンツが あり、それであるが故に、未だ見 ぬ可能性が内包されている。本稿 では、その導入部をご紹介したい 。

 10年ほど前、私は不思議に思っ た。昭和 年代後半から 年代、交 通事故で亡くなる人が1万人を超 えていたころ、世の中では「交通 地獄」と呼ばれていた。その一方 で、自ら命を絶つ方が3万人を超 えていた時代。これはもう「生活 地獄」とでも言うべきものなので はないのか。何かがおかしい。専 門的なことは分からずとも、純粋 な疑問を感じたのである。そして 周りを見ると、都会の方は生活が 大変だと言い、田舎の方は地域が 寂れていくと嘆く。つまり、「病む 大都市」と「疲弊する田舎」が併 存するニッポン。首を傾げながら も、何かを始めなければ。そして、 ささやかでも新しい「日本の笑顔」 を創りたい、そんな素朴な発想で あった。 

 特別な仕組みではない。田舎の 市町村が空き家に家具を備え、役 場職員がサポートして、都会から 気軽に来て滞在できる環境を作る。 観光では味わえない田舎の魅力、 生活感、時には不便さなどを、自身の目で確かめ、納得する。そんな機会を「ちょっと暮らし」と名 付け、平成 (2008)年に試 行した。

昨年度1975人が滞在 

 

 スタート時は、受け入れ側の多くは、観光客すら少ない自分の町 に長期の滞在者が果たして来てく れるのだろうか、という気持ちだ った。その年、本州から 28人の方 が利用。そして、その存在が少し ずつ知られるにつれて利用者も増 加し、昨年度は1975人に上っ ている。1人当たりの平均滞在日 数は 日を超えた。いまだにこの 取り組みが十分に周知されていな いにもかかわらず、申込者は季節 によっては、抽選で数倍、 倍と いう競争率になり、多くの方をお 断りしているのが実態で、受け入れ物件の不足が大きな課題となっている。

北海道の人口数千人の田舎の町村に、関西から、中京から、もちろん首都圏からも、数十人以上が1 カ月間滞在し、思い思いの過ごし方で楽しむ。町村や地域のN P O が用意した、川下り、そば打ち体験、農業体験等々のオプションで楽しむ人、自身でコースを決めて徹底的にドライブする人、趣味を満喫する人、澄み切った夜空に人生を映す人. . など、その滞在

スタイルは多様である。 役場がサポートしていることから、地域住民との交流が盛んなのも、この「ちょっと暮らし」の特色の一つである。住民も、居ながらにして全国の話を聞ける。友達になる。また来るよ、という間柄になり、リピーターが増える。こうした好循環が生まれ、その中から、転居された方も出始めた。 こうなると、北海道内の町村で奪い合いの競争になっているのでは、との指摘を受けることが多い。この指摘は的を射てはいない。そのような側面はゼロではないが、実は、当の滞在者自身は町の境界など気にしていないのである。地域・エリアを面として捉えて楽しんでいる。

一つの田舎で都会の人の多様な要望に応える備えはない。そうであれば、近隣とのコンテンツと連携して、エリアの魅力をアップさせる共生が求められている。その時に必要なコンテンツ、サービスとは何か。そのことを滞在者との交流で把握し、田舎と都会の人が「素敵な滞在空間」を共創していくステージに入ったのである。

 ここに至って、人の動きが、物産の販売促進になり、人が持つスキルや人脈の還流になる兆候が出てきた。そして、「ちょっと暮らし」は、そうした「田舎復活」への序章に過ぎないのだろう。都会だけのニッポンでは立ち行かない以上、田舎は健全に復活しなくてはならない。そのためにも、この「ちょっと暮らし」が、都会と田舎の相互理解のきっかけとして、さらに充実していくことが求められている。

  その一方で、いまだに従来の移住促進策の一環であると狭隘に捉えられて、始動できないでいる自治体があるのも事実だ。このままでは近い将来の「田舎間格差」が広がることを危惧する。もちろん、「ちょっと暮らし」が万能薬では決してない。しかし、後継者対策、6 次産業化対策など、どの切り口でも、人と物と知恵の流れをつかむことは欠かせない。この「ちょっと暮らし」を北海道のみならず、全国で実施し、都会と田舎だけではなく、田舎と田舎の交流にもつなげたいと思っている。J O I N ( 移住交流推進機構) の設立を提案し、お手伝いした背景でもある。 

我が国は、田舎に対して、交通、環境、食糧、医療健康、教育等々という分野ごとでのアプローチに加えて、地域振興、地域再生、過疎振興というさまざまな呼び名で、地域を面として捉えた対策を政府が率先して取り組んできた。 

これからは、もっと「人」に着目してもいいのではないだろうか。

「ちょっと暮らし」のベースができて、その膨大な需要を考える時、そして、一人一人の行動に、ワークライフバランスというだけでは余りに深い今までの人生のバックグランドを見た時、「人」「個」のウォンツに注目した取り組みを進めるのはどうだろう。 初めから大規模でなくとも、初期投資を抑えてスタートしよう。人口減少社会は、実は、減少前の社会インフラが活用可能な今であれば、少ないリスクで取り組むことができる、田舎復活へ残された大きなチャンスでもあるのだ。 

「ちょっと暮らし」が、こうした可能性を鮮明にしたものの、その需要が大なるが故に、企業の本格的な参入が待たれるところである。その萌芽は、既に、不動産賃貸業、ホテル、アウトドア、フェリー、レンタカーなど、ある意味直裁的な分野に加えて、田舎での老後を見据えた介護事業の参入などにも見られる。 ニッポンの田舎は、都会の人が自身の生活を守る意味でも、人生を見つめる意味でも、その価値は変わらない。

「ちょっと暮らし」は、都会と田舎のかけ橋として、日本

の「新しい笑顔」を創るきっかけとして、これから本格的なステージへと歩を進めていく。そして、その先には、これからの時代に合った、新たな田舎が共創されると信じている。

 

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